元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

カネ持ちの真似

カネ持ちの真似

カネがそれ程自由にならない段階で、超カネ持ちのヒトが相当のカネが自由になった後に得ることのできる「悟り」を、想像だけで経験して ゆくというのが、難しいのです。

そこには、文献も必要ですし、相当なる「思い込み」も必要。

そこで、どういう「技術」が必要になるかといえば。。いろいろなシーン、書籍でいろいろな方がおっしゃっているとおりなのですが、「な りきる能力」なのです。

たとえば、カネ持ちになりたいのであれば、そういうふるまいをしてみる。そうすることにより少しずつ人生が変わってきます。

どちらかといえば、カネ持ちの行動を真似するというよりは(それももちろん、大事なのですが)カネ持ちがおそらくやらないだろうこと は、やらないということです。

カネ持ちの悟りを得たいのであれば、カネ持ちのふるまいをしてみる。

その後、カネ持ちの気持ちになってみる。行動をしてみれば、ある程度、カネ持ちの気持ちにはなれます。たとえそれがフェイクであって も。。


大金持ちになるには、運もありますし、非常なるリスクもあります。自殺したくなるぐらい大損する可能性も、あります。

つまり、我々が、リアル大金持ちになる道程というのは、ただ努力すればいつかは達成できるというものではない。


ですが、「なりきる」能力を磨くことにより、リアル金持ちに近いぐらいの悟りの境地には、いけるかもしれない。

ちょっと、ズルいといえばズルいですが。。

カネ持ちがカネ持ちになる過程ではものすごい投資をしているはずで、カネ持ちでない我々は、投資ができない。

投資をしないで、投資をしたのと同じ結果を得たい、と。その「結果」というのは、現金や資産ではないのです。「境地」だけを得たい、 と。。

僕はそういうことを日々考え、なんとか実践しようとしています。


ごくごくカンタンにいえば、超カネ持ちがカネを持った結果として「世の中、カネだけじゃない」という悟り、境地は、非常に重い。

それを、カネをそれほど持っていない段階で、同じ境地を共有させていただければ、と。。

でも、ただの凡人、庶民が「世の中、カネだけじゃない」といったところで、何ら説得力は、ありません。

ですから、黙っていれば、よいのです。

凡人、庶民がいかようなる境地に達しようと、それは「フェイク」なのですから、公言するのはキケンです。(自分の評価を下げる可能性が 高い)

ですが、境地を胸の中にしまっておくのは、庶民の自由です。


最初のハナシに戻って、凡人がカネ持ちの振る舞いを真似し、カネ持ちの気持ちを慮った結果として、その行動様式が自身と同化し、ホント に変わってゆくのであれば、それはすばらしいことです。

でも、じわりじわりと変わってゆきましょう。そういうことを、他人に公言すると、ヘタに妬まれたり、ヘンなうわさを立てられたりしてし まいます。