元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

師匠

師匠

20〜30代までは、人生における師匠といいますか、「お手本」のような人材がほとんどいなかったのですね。(言い方が傲慢なような気 もしますが。。)

尊敬する人はいなくはないのですが、自分の方向性とぴたっとはまる方がいないといいますか。

以前、何かに書いたと思うのですが、他人を尊敬するのはそのベクトルの絶対値に対してなのです。何かの方向へ向かって死ぬほど努力し て、かつ成果も出しているような。(+天賦の才)

僕は、尊敬する対象について、ベクトルの向きは気にしません。真反対でもよいと思います。(そういうヒトはえてして「内心で」尊敬して います。。)

右翼の人間が左翼の活動家を内心、「あいつはすげえ」と評価しているような感じ。。(たとえがかなり、オーバーでしたね)

ベクトルの向きがぴたっと自分とはまって、かつ自分より先をいっているような。。

そういうヒトと巡り会いたかったです。若い時分に。

30代後半から若干焦りが出てきて、アタリマエのことにやっと気付いたのですね。

「そうか、故人でも、会ったことがなくても、本を通じて私淑していいのか!」と。。

別に、リアル・ワールドで対面している方から師匠を選ぶ必要も、なかったのです。

(それが、ベストではあるのですが)

おかげさまで、本を通じてたくさんの「師匠」と出会うことが出来、それはそれで、幸福でした。


そして、少し考えたことがあります。

結局後から考えると、若い時分に人生の師匠(リアルな)がいなかったということが功を奏していたのかもしれません。

逆にオリジナリティを発揮できた、とでもいいましょうか。。


でも。。

これまではこれまで、で、よかったのかもしれませんが40代以降はダメだと思うのですね、人生における師匠(リアルな)がいなければ。

つまり、なんというか。。「肉声」でいろいろ指南いただけるヒトがほしいといいますか。


同時に。。

僭越ながら、もう40代なのですから、誰かの師匠になってゆかなければならないのだろうなあ、と。。

そのためにはますます自分を磨かないと。磨くためにはリアルな師匠が。。という悪循環にハマってゆきそうな。