元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

正しいものは、正しい

正しいものは、正しい

正しいと思うほう優先。

そして、多くの場合正しいと思う方向は「損」です。

ただしその「損」は、近視眼的視野でみた損得勘定にすぎないのです。


自分が正しいと思う方向は、自分にとっては正しい。それは、アタリマエのことなのです。

たとえば自分が自信を持っておこなった選択で、大損したとしても。。

未来に、過去(その選択)の意味を変えてゆけばいいのです。

どこかで大損しても、自分が「正しい」という思う方向への選択のみをしていれば、どこかで元はとれます。最終的に、帳尻は合います。

その判断基準が、他人だったり、マスコミだったりするから、「正しい」の基準がフラついてしまって、ダメなのです。多くのヒトはドツボには まっていきます。


最終的に、帳尻が合ったときに、過去の大損の経験を「あのときあの大損がなかったら今の自分はなかった すべてはつながっていた」といえば いいのです。その瞬間に、その大損の選択は最良の選択となりうるのです。

人生は連続している。だから、近視眼的視野のみではダメなのです。