元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「海底のほうがよっぽど美しい」

「海底のほうがよっぽど美しい」

これはホント、名対談です 「海底のほうがよっぽど美しい」というのは現代の私たちに銃剣を突きつけられているぐらいスリリングな物言いだと思い ます。

(以下、再録)

人間、この不思議なるもの (河合隼雄全対話)

人間、この不思議なるもの (河合隼雄全対話)

河合 (略)ある方が来られましてね、いつもいつも愚痴をこぼしていかれるわけですね。その方が「どうも先生をごみ箱がわりにして申しわけない」 嫌なことばっかり言ってと。私がそのときに「いやあ、ごみ拾いしておったら、ときどきダイヤが混じっておるので、この商売やめられません」と言っ たんですけど、つまり人はごみだと思ってるんですけど、ダイヤモンドが入っておるわけですね。それが見えるから仕事をしてると。ところが、そこか らもうひとつ次の大問題は、ダイヤがみえないやつがあるんですね。
遠藤(周作) なるほど、ぼくもそうだと思う。それなんですよ。
河合 つまり、もちろん一般論としては―子供さんなんかとくにそうで、私よく言うんですけども、プラスのことはだいたいマイナスの形であらわれて くると。つまり、元気になる前にはしゃべりになるかも分からない。元気になる前はうそをつくかも分からないというように、マイナスであらわれて次 プラスにいくわけですね。そんなのは分かりやすいんです。そんなのは分かりやすいけども、その半面のプラスが見えない絶対的マイナスという、これ が私にはすごく問題なんです。
遠藤 (略)いま河合さんのおっしゃったように、どうしてもプラス点の見えない悪というものが人間の中にあるんじゃないかと思って、(略)罪だ と、まだ上昇するものがありますが、悪のほうは下降だけどどんどんやっていくんですよ。(略)下降して、バウンドして、バーンとこういかない。下 降の中に快楽があったり美があったりするんでね。これは、きょうぼくがお聞きしたい問題のひとつだったんですが、いったいどこから来とるのかいな と、まず思うんです。これにもやっぱり何か深い、人間として、われわれがまだ目の届かない深い何か生命の意味があるのかなということなんですが ね。
河合 (略)本当にたまらないのは、ある一人の人にとって、ともかく何であれ、いま言いました下降が始まるわけですね、ずっと。われわれはその下 降にずっとついていってるわけです。相当なところまでついていくというのは、どこかでバウンドして上がるからですね。たとえ話で私はよく言うんで すけど、われわれは沈め比べみたいなことをやってるんだと。ぼくの息が続くか、向こうの息が続くかね。そして下降して下降して、底まで着いて、上 がったらいいと。ところが、ぼくの息が続かんときがあるわけですね。そういう場合に、でも何とかついていくほうがいいのか。そしてまた、実際に こっちの息が続かんから上げようと思っても、向こうはなかなか上がらんわけです。そういう人はね。そういうことにぼくは常に直面してましてね。そ して、そういう人たちはわれわれを非難するわけですね。つまり、簡単な言い方をすると、おまえは何も上に行って息することがいいと思ってるかもしれんけど、海底のほうがよっぽど美しいじゃないか
遠藤 そうそう、そう言うんですよ。そう言うし、そうだろうと思います。
河合 ええ。そのときに、私はすっごくジレンマを感じながらやっているんですけども、非常に簡単な答えを言ってしまいますと、簡単すぎて申しわけ ないんですけども、やっぱり私の命のほうは大事にしなくちゃならないと思ってるんですけどね。私の命を捨ててまでついていくことはやめたほうがい いんじゃないかと思ってるんです。
遠藤 それは分かります。(略)どんどん沈んでいくとき、途中でもう息が続かないというのではなくて、本当は息は続くんだけど、このあたりでもう 逃げないかんと思って逃げていくわけでしょう。それが怖い。ユング派の河合さんに聞きたいんですが、いったいあれは元型ですか、それとも欲望です か、本能ですか。
河合 ユングは、やっぱり元型的なものと言ってるんです、それは。(略)ユング派の方たちはみんな、(略)真の自己みたいなことをいいますね。私 が今話をしているのは、意識している私ですけども、それを超えてもっともっと深いところに本当の自己みたいなのがあると。ところが、その本当の自 己の影というようなことをちょっと言ってるところがあるんです。そこにさえまだ影があると思ってるんですね。ところが、そこで口をつぐんでるんで す。この問題は恐らく非常に論じるのは難しい。(略)
遠藤 しかし、最後にぶつかる問題のひとつですね。
河合 (略)私はちょっとずるいんですけども、非常に大事なことは、自分の心の中にそういう部分があるということ、これを認めないわけにはいかな いんで、認めることがまず大事ですね。ところが、それだけではないでしょう。それと、(略)私の家族もいるし、私の友人もいるし、それからうまい ものも食いたいし、いろいろありますね。そういう全部の中にその悪も位置づけられてるわけでしょう。だから、そこだけにすがるというのはだめで、 そこにいってでもやっぱりぼくらの心をできる限りのものにオープンにしてたら、そういうもののおかげでとまるんじゃないですかね。
遠藤 そうそう。ですからね。つまりさっきから女房にしかられるとか、世間体とか言いましたけど、そういうものがとってもぼくは大事であるとい う。
河合 ぼくはすばらしいと思います。常識というのはすごいものだと思います。


遠藤 聖書の中でイエスが裁かれて、いろいろ迷ったりしていますね。(略)あのとき群衆は、イエスがずっとゴルゴダの丘までひきずられていったと き、笑って、そして石をぶつけますな。(略)群衆が石をぶつけたということはいったいどういうことであったかということを論じてるイエス伝てない ですね。(略)ぼくはクリスチャンでしょう。(略)それがこんなこと言ったらしかられるかもしれないけども、もし私がその前におったら必ず石をぶ つけたろうと。つまり、まず弱さでぶつけたとおもいます。みんながぶつけろと言って、断りきれずに届かんようにぶつけておると。そのうち届いたり して、カーンとイエスに当たって、血が流れたりすると、ある快感ができて、それからぶつけ始めるというこ とが自分の中にないかといったら、たしかにあるんですよ。だから、これはぼくは大変なことへぶつかってしまったと。し かも、この年齢でぶつかってしまったんでね、弱っておるんです。
河合 しかし、この年齢にならないと、それはなかなか分からないんじゃないでしょうか。そして、ぼくら同じような年齢だと、そのあたりで分かるか ら、これは本当に意味をもつんであって、若い人たちは分かるよりもやられてしま うんです。幸か不幸か。その存在に気づかされた人たちがいるんですね。気づいたんじゃなくて。気づかされた人たちがわ れわれのところへ来られるわけでしょう。
だから、そういう人たちはね、また叫びたいところがあるんです。「おまえら、ないと言ってるの に、あるじゃないか」ということをものすごく言いたいんですね。「おまえらの心にみんなあるじゃないか」と言いたいと ころはあると思うんですよ。

(抜粋・紹介おわり)