継続というのはなぜ難しいのか
継続というのはそれほど難しいものではないと思うんですよ。自分は。慣れているので。
でも、継続することが難しいという話を聞きます。
続けていると、途中で誘惑が入るから、とか人はいいますが、ホントかよ、と思いますね。そもそもそんなにハデな華々しい生活はしていないでしょ う。
人の生活はほぼルーティンワークの繰り返しですよね。そこにひとつ新しいエッセンスを機械的に埋め込んで、続けてゆけばよいだけの話です。
朝起きて人は歯磨きをする。(可能性が極めて高い)<=「しない人間もいる!」といったような脱力させる反論を防ぐため
なぜなら、その大きな理由は口臭が気になるからでしょう。つまり、「公」に対するエチケット、といえば聞こえはよいですが、要は他人に嫌われたく ないのです。
そういった、日課としてやらないと人間関係や生活を営んでゆく上で不都合である、という動機付けを埋め込めれば。。
本来は、日課として続けると楽しい、という動機であればベストなのでしょうが、そもそも「続けなきゃ」という作業、行動が出てきた時点でそれは楽 しくないことなのでしょう。
ですから、ゲーム要素を取り入れるというのは選択肢のひとつかと思います。行動を数値化して、その上昇(あるいは下降)を楽しむ。それをモチベー ションにする。
スポーツの継続はそれが用いられていますよね。血糖値だの血圧だのそういう値を正常値に戻す、あるいは、他人より良い値になることがモチベーショ ンとなる、。
ダイエットで、「何を食べてもいいけどやせられる」っていう話がありますけど、あれは、何らかの薬を継続して飲んだりするのでしょうけど、その薬 を飲むことの継続すらできないんでしょうね。
「努力しなくてもいいんだよ」と言われているのに、「継続」という努力をまずできないという。。
「何を食べてもいいけどやせられる」っていううたい文句が成立するのは、「食べる」という行為が快楽なのだという共通認識があるのだと思います。
「食べる」という行為、の中でも、カロリーの高い食事を食べ続けるという快楽をやめられないと考えている人(特に女性)が多いということなので しょう。
まず、なぜ自分はやめられないのか?(「やめられない」と考えているのか?) から考えることでしょうね。
やっと話が戻ってきました。これは、なぜ自分は「続けることが難しい」と最初から考えてしまうのか、という話と似ています。
そこでにじみ出てくる「どうせ自分は。。」という自堕落的なカタルシス。。
それに対して、健全なモチベーションが勝ってくればよいのでしょうね。「人としてどうか」を判断基準にする、というか。
それにしても、ホントに豊かな世界であるがゆえの悩みですね。。 豊かであることに埋没しすぎると豊かでない国の人たちよりも不幸になってゆきま す。もったいない。。
この話はどうだろう、続かないかな。。