元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「回転木馬のデッド・ヒート」

「回転木馬のデッド・ヒート」

抜粋・紹介

回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)

回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)

自己表現が精神の解放に寄与するという考え方は迷信であり、好意的に言うとしても神話である。少なくとも文章による自己表現は誰の精神をも解放し ない。もしもそのような目的のために自己表現を志している人がおられるとしたら、それは止めたほうがいい。自己表現は精神を細分化するだけであ り、それはどこにも到達しない。もし何かに到達したような気分になったとすれば、それは錯覚である。人は書かずにいられないから書くのだ。書くこ と自体には効用もないし、それに付随する救いもない。
(引用おわり)

とにかく「回転木馬のデッド・ヒート」というフレーズは、僭越ながらとても素晴らしいです。よくこんなコトバ思いつくな、といったような。プロな のだから当然なのかもしれませんが。

この村上春樹さんの文章に対して僕は愛憎反する感想を持ちます。
まず、「文章以外の」「自己表現が精神の解放に寄与するという考え方は迷信であり、好意的に言うとしても神話である。」ということ。僕がキラい な、非日常への憧れを「いいオトナが」捨てきれないアート系のヒトたちがすぐ思い浮かびます。

ですが「書くこと自体には効用もない」というのは、実際僕は書くことにより「精神安定」という効用を実感しているわけですから、(今の自分にとっ ては)違うと断定できます。

ただしその「効用」とやらはマスターベーションにすぎないわけでして、そういう自覚はありますし、村上さんが指摘したいのはそこなのかもしれませ ん。「社会的」効用はない、ということでしょうか。

「自己表現は精神を細分化するだけ」も納得がゆくのです。でもそれは「どこにも到達しない」わけではない。それは、微分微分に重ねた結果とし て、「根源的な闇」(byこれも村上春樹さん)に到達します。そう信じています。


まあ、このフレーズ自体も短編小説の一要素ですから、このフレーズに目くじらをたてる必要もないのかもしれない。
(抜粋・紹介おわり)