元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「一貫性を求めすぎない」

☆ 一貫性を求めすぎない
首尾一貫した人って尊敬される傾向にあるんですが、私はこれがほんまかいな?と思うわけです。
「ほんまかいな?」というのは、
  ● 首尾一貫した人は尊敬されるのか?
という問いかけではなく、その前段の
  ■ 首尾一貫した人は尊敬に値する
という集合知に対してです。

会社で生活をしていると、会社の価値観が知らぬ間に自分の価値観であるかのように錯覚するんだなぁと言う事が、サラリーマンを辞めてよく分かったんですが、会社というのは人を効率よく確実に動かすために、ポリシーとかルールとか判断基準とかを社員に植え付けるのです。それがサラッと文句を言わず植え付けられた人間は「優秀」というレッテルを貼られてご褒美のアメをしゃぶらせてもらえるというのが会社というシステムなんですね。

しかもこれが、本人に無意識な状態で(まさに洗脳されるように)行われるから、本人はさも自分が昔から考えていた事であるかのように想い、行動するのです。まるで映画インセプションのようです。

そしてこういうポリシーとかルール、判断基準、善悪、といった価値観の背景には、「首尾一貫」という思想が横たわっているのです。そりゃそうですよね。ポリシーが毎週変わってしまったら会社は混乱しちゃいますから。同様に、ルールや判断基準なども一度決めたら永続させたいわけですよ、為政者としては。

それが『首尾一貫という態度は尊敬に値する』という価値観を作っているんだと思うわけです。

でも首尾一貫って要するにひとつの考え方、価値観に拘り自分を縛り付けるって側面もあるのですよ。

本当は別な価値観が自分にフィットしたり、新たな価値観によって自分がさらに成長したりって事もあるはずなんですね。ところが首尾一貫的価値観こそがすべてだと思ってしまうと、
  ▼ サラリーマンを辞めたら生きていけない
  ▼ 公務員こそが最も有利な職業なんだ
  ▼ 金がなきゃ生きていけないんだ
  ▼ 40過ぎたら転職は難しい
ま、何でも良いんですが、「○○という考えこそが至上のモノだ」という思考枠からはみ出せなくなるんですね。

それこそが自分の可能性を最初から否定している事に繋がっているという事に気付かなくなるんですね。

私は、マルクス主義にはまった人が治安維持法でムショにぶち込まれてあっさりと転向した人たちってアリだと思うんですよ。まさにダーウィニズムを実践したって意味でね。

私自身も自分の考えをコロコロ変えてますよ。むしろ変えた事によって人生がより豊かになった気がします。

そういう意味では、「転向万歳」なんですな。

そもそもこのメールマガジンだって当初は、「サラリーマンで年収1000万を目指せ」というタイトルからも分かるとおり、サラリーマンで生きるのが良いんじゃ無いの?というスタンスだったのに、当の私が辞めちゃいましたからね(笑)

人の考えなんてコロコロ変わるべきで、勉強を重ねれば新たな情報が入ってくるわけですから、既存の考えが修正されるのもまた当たり前なのですよ。

40歳を超えてリストラにあって、オレはサラリーマンしか出来ないと思考枠を固定して再就職に励み、ようやく見つかった仕事では年収が半分になったなんて結構良く聞く話です。それで本人が幸せなら良いんですが、こういう人って、
  ▼ マイホームのローン支払いが大変で・・・
  ▼ 娘がまだ高校生だから・・・
  ▼ お小遣いを減らされたんで禁酒しています
って、おいおい、全然幸せになってないじゃん、という人が多いんですよ。

  ● サラリーマンをクビになっちゃったから自分で商売でもするか
と腹を括って新たな生き方を模索した人の方が生き生きと、そして豊かに暮らす事が出来たりするんじゃないですかね?という思考は最初から排除しちゃってるわけです。

ダーウィンは、環境の変化に適応する種が生き残ると言ったわけですが、適応するには変化しなきゃいけないんですよ。それってまさに転向するって事でしょ。

考え方の根っこを変化させずに、つまり今日のテーマで言えば、「首尾一貫が正しいという価値観を疑う」という事無しに、表面上だけ変化をしようとしてもダメだと思うんですよね。

ん?ここまで書いて、ずいぶん昔は「首尾一貫した論理が重要」って書いた気がしたのを思い出したんですが、だからそういう価値観からも転向したって事ですよ。(笑)

人生に於いて、ひとつの論理、法則が永遠に機能するなんて考える方が愚かなんですから。

佐藤正遠