元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

せっかくの人生なのだから。。

せっかくの人生なのだから。。
「せっかくの人生なのだから。。」「一度きりの人生だから。。」と、 考えるのはおそらく皆共通です。
でも、その後に続くコトバ、願望は共通である必要はない。
。。いや、ちょっと違いますね。
一度きりの人生だから、「いろいろやってみたい」という思いを、ほと んどの方がもっているようで、それが画一的にすぎることに警鐘を鳴らしたいと思っているのです。
その「いろいろ」すら画一的で。。 つまりは拝金主義ですね。カネを 出して豪遊したい、といったような。。
さきほど「願望は共通である必要はない」と書いたのは間違いで、願望 というのは「幸せになりたい」という一点に集約されるのだと思います。
のはずなのに、「一度きりの人生だから、幸せになりたい」とマジメに 考えるヒトはおそらく驚くほど少ない。
カネにものをいわせて、たとえば海外旅行にいくとか大きな家に住むと か、そういうことを実現させたら死んでもいいと思っているフシがあります。
そして、そういったことを実現させてゆくことが「幸せ」であるに違い ない、と考えてしまっているのでしょう。
それが、根本的に間違っているのですね。
「幸せになりたい」ためにどうするか? という手段。これがヒトに よって千差万別なのです。
その手段は、個々が深い自己洞察によって得られるものであって、マス コミ等に教えてもらうものではない。
ただし、マスコミは間違った情報ばかり流しますが、すでに深い自己洞 察を済ませている先達のコトバたちにヒントがあります。
それもヒントにすぎないのです。ホントウに、自分で見つけるしかない のですよ。
マスコミ等が流す情報は、「ああ、これが『平均的な考え方』なのだな あ」と、流しておけばよいのです。そのときはそうでなくともマスコミが流す情報は近未来には「平均的な考え方」になってきます。
それをウォッチする手段としては有効かもしれません。
それを鵜呑みにしてしまうのがサイアクで、ほとんどのヒトたちはサイアクに染 まってしまっているのです。(その状態を僕は「洗脳完了」とよんでいます)