元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

ドラマツルギー

ドラマツルギー

抜粋・紹介

アウトブリード

アウトブリード

ぼくは本気で言っている。小説にドラマツルギーが不可欠なのかそうではないのか、ぼくはそうではないという立場をとるから、ドラマや葛藤を無条件 に前提とする考えに徹底的に反発する。

(抜粋・紹介おわり)

そのまんま「小説」を人生におきかえたのが僕の生き方であると。。言ってみたいものです。
いや、ちょっとはそうであろう。

人生にドラマツルギーが不可欠なのかそうではないのか?


人生を、ほぼ日々のルーティンで埋め尽くしたい、それと、天職をみつけて年に350日ぐらい朝から晩まで働きたい、というのが、僕の願望ですか ら、そこにドラマツルギーが入り込む隙は、ほとんどないはずなのです。

「ドラマティック」とは違うハナシで。。(ごっちゃになってきました)
もちろん、求めているのはドラマティックでもないですし、たとえば連続ドラマの第一回で、誰かと誰かが運命的な出会いをする、最初はいがみ合って いるがいくつかの出来事を経てふたりは恋人どうしになってゆく。。といったような「ドラマツルギー」はどこにもない、
といいますか、そういったありきたりのプロットに支配された人生を僕は送りたくない、ということですね。


が、ここからが大事なところで、逆に、しっかりしたルーティンが確立された人生をおくっているヒトにこそドラマツルギーは入り込もうとします。 (隙がほとんどないのに、隙がほとんどないからこそ)

非日常、イベントだらけの人生、劇的な出会い、などなどを、ただただ口を開けて待っているヒトたちには訪れない。

スポーツにおいてはまず「型」が大事なのである、というハナシと通底します。