元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

念じる者は救われますよ。

宗教の危ういところでもあるのですが、
死ぬ気で信じれば救われます。疑いがなければ。
本気で、菩薩が迎えにくると常日頃念じていれば、そりゃ、臨終の場に菩薩はあらわれますよ、その人の意識上に。

それが為政者、じゃないな、宗教団体を司るほうの永遠の言い訳にも なってゆく。救われないと嘆けば「本気で信じていない」あるいは「現世で救われるとは限らない」と。
常にこんな言い訳していいんだったら僕でも宗教団体できますよ、って話です。

だから、宗教なり神を信じなければならぬという義務など、どこにもないのです。信仰の対象はなんでもいいのです。スポーツに殉じる人もい ます。現世の誰か先輩に心底惚れ込むこともあります。(異性かもしれない。。)

それで、いいんです。
とにかく、「死ぬ気で信じる」という行為については大・肯定したい。 それこそが宗教なのです。