元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

抱負⇒ 他人のためにカネを使う あえて損をとる

他人のためにカネを使う あえて損 をとる
抱負(2008)

他人のためにカネを使う

先日、「後悔のない支出」と書きましたが。。

今年は、その関連で、他人のためにカネを使う、という目標です。

それは、「寄付」とは違います。近しいヒトに、ということです。

どこの誰やもわからない、顔の見えないヒトにカネを使いたくはありません。そして、そのヒトに届くまでに何重にもピンハネされてしまうのですか ら、バカらしいですよね。

近しいヒトに対してであれば、ダイレクトに「額」と「思い」が届きますよね。

使う額はいくらでもいいのです。

肝要なのは「惜しまない」ということ。

たとえば、そのカネがあったら自分で服を買えるなあとか旅行にいけるのになあ、とか、そういう、「自分、自分」な私欲をムキだしにしない、という こと。

これは一種の「修行」かもしれないですね。

ただ、「修行」と少し違うのは、自分が幸せになるのはよいのです。前述した「後悔のない支出」の範囲内で。

たとえば、おいしいものを食べに行きたいのであれば、誰か近しいヒトを誘う。皆で「おいしいね!」を共有する。

で、最後は誘った私がおカネを出す。

たとえればそういうことです。

もともと、自分の収入のほとんどは家計に消えてゆくわけで(私の純粋な「おこづかい」はほとんどありません)、それはつまり、家族のためにカネを 使っているということです。

実家への仕送りもずっと続けていますし。

ですので、その範囲を「家族」からほんの少し拡げましょう、ということ。

そして、他人のためにカネを使うことを、スマートにやりたい、というのが、ここ数年の長期的目標になるでしょうね。

あ、そういえば、さらに前提として、「貯蓄、投資の目標額を設定して、それを実現させる」という目標もあります。

他人のためを考えすぎて自分の貯蓄が破綻してはならないのです。自分のためにも、他人のためにもならない。

あえて損をとる

他人のためにカネを使う、というのは、一見「あえて損をとる」という考え方に近いように思えますね。(ホントウは違いますけれども)

「あえて損をとる」というのは、昨年来の継続の抱負ですね。

これは、おカネに関することばかりではありません。

たとえば。。「ためこまない」とか。

ゴミ箱をパンパンにしてからゴミ収集に持っていったほうが、収集に持ってゆくという「足労」の期間は空きますので、一見、効率化されているように みえます。

が、ゴミ箱が家でパンパンになっているのはとても醜いものです。ですので、生活の中で醜いものをおかない、という上のレベルの方針にもとづいて、 ゴミ箱は6〜7割ぐらいでもう収集に出してしまう、と。そうすると、何度も収集の場所まで足労することになりますが、そのぐらいはやりましょう (「損をとりましょう」)ということです。

家の中で「何度もムダに往復する」というのは、悪いことではありません。なぜならば、ムカシの主婦はそれにより運動不足にならなかったのですか ら。

それに比べて現代社会では、摂取カロリーも上がり、家電の発達のおかげで「異常な」効率化が進み、その結果として。。(省略)