元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

未来をコントロールする根拠をさがす(3)

前回は、ブログタイトルに「未来をコントロールする根拠をさがす」と書きながらも、過去をコントロールする話が長くなってしまいました。
そして! 同じことをずっと書き続けてきた結果、この「未来をコントロールする」という書き方が間違っていることに気付いてしまいました。
すみません。。

未来を「コントロール」することはできないのですね。未来をコントロールするのは「存在」(前回/前々回参照)であって、我々は再生可能な自分の あるべき姿を思い浮かべるのみなのです。なのでそれを、「いつ」実現させることができるかをコントロールはできないのでした。

その「あるべき姿」がいつ実現されるかといえば、消去法で、現実でもなく過去でもないので(もっと詳しくいえば過去「を希望しない」ので)、未来 でしかありえないということです。


ここから、かなり具体的な話になってきますが。。

自分があるべき姿のイメージというのは、自分を写す写真だったりビデオだったりするわけですが、実は必ずしもそうではない、という。。

それは未来であっても今であっても同じで、我々の記憶の蓄積は基本的には自分の視界からみえた情報です。ですので未来の動画も、基本的には「自分 自身の姿」ではなくて、未来の自分の視界からみえる情報です。

つまり、相対的なものが多いということです。たとえば。。どこそこにこういう家が建っている、とか、今自分をコキつかっている上司が部下になって へーこらしている、とか(たとえが悪いですが。。)

毎日穴が開くほど自分の顔を鏡で見ている人をのぞき、自分の姿やふるまいを動画でイメージすることは難しいのです。
これが、「あるべき姿をイメージする」の落とし穴ですね。

たとえば、ロックを志している人が、東京ドームを満員にするイメージを持っていたとして。。
それは、おそらくステージの上から、周りのメンバーと、満員の観客の熱狂的な様子をイメージするのだと思います。必ずしても、客席側からみた自分 たちの姿、あるいは、客席側から撮っているビデオ映像ではないはずです。

なのですが、イメージをカンペキにするにはナルシスティックになる必要が実はあるのです。このような「有名になりたい」系のイメージを具体化した いという人は特に、みている自分とともに見られている自分のイメージを具体化する訓練をしておく必要があります。

ひとつの訓練の例としては高級ブランドの店にいって高い服を試着し、それを鏡で穴があくほどみて高級感のある自分をイメージしておく、とか。
そういうことです。