元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

未来をコントロールする根拠をさがす(2)

昨日書いた「存在」というのは、地球という奇跡的な惑星や、生物の進化、人間という究極的な?存在の誕生までもデザインできるのですし、もっと大 きくいえば太陽系の自転公転を司るぐらいですから。。たかが人間1人の「未来」をコントロールすることなんて、ヘでもないのです、はっきりいっ て。

もっと詳しくいえばその「存在」には時間の概念がないのです。(あるいは「時間をコントロールできる」といってもよいです)

そこで、前回の話に戻りますが。。
「未来に起こるであろう(確信している)自分の幸せな出来事に対して最初っから感謝しておく」ことは、バカにされることではないのです。これはか なり、現実的な話で。

未来に起こるであろう自分の幸せな出来事が、脳内にほぼカンペキに(たとえれば「非常に解像度の良い動画で」)イメージ再生できるようであれば、 それは未来に起こり得るし、脳内で実現できているのですから、他人がどう思おうが自分がその未来に感謝したところで何らヘンな話じゃないのです。
なぜなら、自分の脳内では未来にその動画は実現するのですから。

「未来」と規定するのが間違っているのですね。脳内ではすでに起こっている(過去形)なのです。
脳内で再生されていること(イコール、夢の中で実現されること)が「現実」でないとは誰も証明できないのです。さきほど書いた「存在」にとっては それも現実なのです。
であれば私たち人間が脳内や夢で起こることを「現実」とみなしても特に問題はないのではないでしょうか。(この現代社会ではあまりおおっぴらにい わないほうがよいかもしれませんが。。)

いろんな本に書かれているとおりで、強く思うとそれが現実になる、というのは言葉でいうのはカンタンですが実はかなりハードルが高く。。先程書い たとおりその思うことが「脳内にほぼカンペキに(たとえれば「非常に解像度の良い動画で」)イメージ再生できる」というのが大前提になるのです。 これはかなり難しいことです。

ほぼカンペキにイメージ再生できることというのは、たとえば私が40歳すぎてプロ野球選手になりたい、といった荒唐無稽な「思い」はムリなので す。ハードルが上がっているのでどんどん、自然と「リアルに起こりうること」に絞られてゆきます。

非常に大事なことを書きますが、今の例でたとえば私が20代の頃に戻り、その頃の自分の容姿で、カクテル光線を浴びてプロ野球の華々しい世界の中 で大活躍しているイメージを脳内再生できるとするならば。。

それは、私の脳内「過去」に過去として残ります。悲しいことですがそれだけです。未来には起こりえません。
非常に、イヤな言い方をすれば過去の捏造ですね。我々はいくらでも過去を捏造しています。インパクトのなかった日常はほとんど忘れていますから過 去のバラバラなスナップショットを適当につなぎあわせることを、今この瞬間も、自分の意識の下で行なっています。

このあたりを誤解している方が多いですね。

芸能人が自身の過去を隠したり捏造したりするように、我々もそういうことができるのです、というかやっています。我々は芸能人を一概に非難するこ とはできません。やってしまっているのですから、どんどん過去もかえてゆけばよいと思うのですよね。
たとえば過去の写真が残っているのだとしたらその写真周辺のストーリーはいくらでもふくらませることができます。