元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

自分の話の続きが気になる

自分の話の続きが気になる(物語って2)(【重要】マーク)
もしかしたら、物書きの方たちは皆そうなのかもしれませんが、とにかく、イメージが先にあって、まず書き始めてみる。あとは野となれ山となれ、み たいな。。 でもプロだから、物語の世界(「あっちの」世界)からは必ず戻ってきて、物語としては着地させる。「行きっぱなし」にはならない、 と。

自分の作品について「続きが気になってくる」ということを、言うんですよね。すごく、不思議な言い回しなのですが。。

たとえば、前の小説で主人公はラストでどこかに旅に出た、と。その小説を書ききったときは、そういうラストにする必然性があった、と。で、何年か すると、その主人公はどこに行ったのだろう、というのが気になってくるそうなんですね。

脚本がないということですよね。その主人公に対して、こうあるべきだという押し付け(プロット、結果)をまず付与しない。

ただただ、そのときは旅に出る以外になかった主人公、自分のもとを離れた主人公が、その後どうしているのか。

それが、自分がまた盛り上がってきて、書き始めてみないと、わからないという。。

いや、ホントは潜在意識の底では、何か確固たるものがあるのでしょうね。また書きたい、と思わせる、なにか「むくむくっと」した思いが起き上がっ てくるということは。

その時点ではまだ主人公は、「根源的な闇」(昨日の日記参照)の中にいるから、書き出すという行為により「彼」をひきあげてやらなければならな い。

書き出してみないと、エンディングも見えない。その主人公がまたどのような「冒険」をするのかもわからない。。

でも、また必ずエンディングを迎える。この世に現出する物語というのは、無限ではありえないからです。

でも、その、必ず迎えるエンディングの「脚本」も、はじめから「根源的な闇」の中に隠されているものなのでしょうか。それはよく、わかりません。

その「根源的な闇」の中には時間の流れというのはあるのか。。それとも、ムカシ流行ったいわゆる「パラレル・ワールド」なのだろうか。

と、考えると、ホントはその主人公の物語は、「根源的な闇」の中では誕生から死亡まで延々とうねりながら続いていて、作家は、何か「啓示」のよう なものがあったときにだけ部分的に闇の中から物語を取り出して、「小説」というアウトプットとして世の中に提示する、ということでしょうか。

作家の理想像としては、まず、その「啓示」があること、次に、物語を小説というかたちで世に出す「技量」を持つこと。そしてもっとも大事なのは、 闇の中に無数の物語を持つことなのでしょう。