元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

タバコとの協調関係

タバコとの協調関係
僕はタバコは常習ではありませんが、やめてはいません。
宴会の席などでは、知人から拝借して、いただいたりします。
これがまた、おいしいのなんの。。やめられません。
いただきものなので、セブンスターでもメンソールでも1mgでもなんでも、えり好みはありません。

僕はタバコのように強烈な中毒性のある嗜好品に対して、「負けてない」と思っています。うまく「パートナーシップ」(?)を構築している、と。。


ところで、タバコでもなんでも、人間は「禁止!」という事項に対して、禁を破ろうとする欲求が、「強すぎる」のですね。
先日、河合隼雄さんの本を読んでいましたが、昔話には禁止のハナシがホントによく出てきます。夜、この部屋の戸は開けてはいけない、とか。。「開 けてはいけない」というのは多いですね。

「開けてはいけない」といわれなければ、開けないのに。。わざわざ、「禁止」をつくる。
もちろん、主人公は開けます。ゼッタイ開けます。

ですので、タバコがよい例ですが、自分に対してなんでもかんでも「禁」をつくらないほうがよいのだろうな、というのは、最近あらためて思います。
禁を破るのは、快感なのです。禁を破るパワーというのはブルドーザーのようなものであり、自分自身にやられてしまうのです。
そして、自分自身にやられてしまうとそのダメージは、大きいものです。