元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「こうありたい」と願うのは自由

2007年2月14日
「こうありたい」と願うのは自由

「こうありたい」とイメージし、それに近づいてゆくのはうれしいものです。その「こうありたい」というイメージは、ヒトは自由に設定できます。目 標を近きにおこうがムリなところにおこうが、勝手なのです。勝手であるがゆえに自己責任が求められます。目標をムリなところにおくことによって挫 折感が増長したりストレスがたまったりしても、それは自分が悪いんですよ。しかもそれは、自分の努力によって改善可能かというとそうでもなくて、 自分の「器」の問題なんです。もともとの資質なんですからカイゼンはほぼ不可能なんですよ。自分の器を受け入れて、目標設定はそれに見合ったもの にする必要があるのです。その作業をしようとしないヒトが多いんですよね。。 社会が豊かになって間違った「万能感」だけが助長されるから。。