元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

何もなかった頃

何もなかった頃
都心に「何もなかった」頃。都心に住むことに意味を見出せなかった時代。

昭和のバブル崩壊から、平成バブルの前まで。

港区の人口は16万人ぐらいでした(と記憶しています)。

今は19万を突破。

お台場も原っぱで、六本木ヒルズもミッドタウンもない。

でも、今、跡形もなくなってしまった、六本木6丁目の玄碩坂も、スウェーデンセンターも、ダサかった旧テレ朝も、WAVEも、ありました。ムカシ は「何もなかった」わけではないのです。

ムカシは、都心が「わかりずらかった」だけなのです。

都心区は、今は黙っていてもヒトが回帰するようになってきて高飛車になってしまいましたが、ムカシはそうではなかったように思います。

大枚はたいて都心に暮らす、ということがまだ珍しがられた(どころか、軽く批判まで浴びた)時期でした。

でも、私は、あの頃こそ都心には「何でもあった」と思います。

ヒトがわんさか押し寄せてくる前、「ヒト」が何もかもを壊してしまう寸前の街にこそ、「何でもある」。(【重要】マーク)

おっと、懐古主義に浸るのが目的ではなかったのでした。。

横浜もそうだったのです。ムカシは、ベイブリッジもみなとみらいもなかったんです。

ムカシのミナトヨコハマは、わかりずらかったんです。

みなとみらいも何もない頃、ヒトはどこに観光にいってたのか?

って、数回聞かれたことがある。

でも、似たような結論ですけど、自分はムカシのヨコハマにこそ何でもあった、つまり、ヨコハマらしさが残っていたと思うわけですね。

伊勢佐木町、福富町、野毛、黄金町日の出町、根岸、本牧、元町チャーミングセール、元町と対比する意味での石川町、丘公園、山下公園。。

ほら、なんでもそろってたじゃないですか。

ということです。