元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

ふたつの目標

ふたつの目標
自分は、高校生ぐらいから、何の根拠もなく、自分は「大器晩成型」であると信じて疑っていませんでした。

今も、なんとなくそう思っています。

そしてついに、といいますか、そろそろ自分はその「晩」にさしかかりつつあります。

でも、僕自身およびその近辺は、何の劇的な変化もありません。

数年前は、ちょっと焦りもしました。オレは「大器晩成」なんだから、そろそろ華々しく「社交界デビュー」とかテレビタレントしてデビューとか、そういう方向へ進むんじゃなかったのか?

独立して社長になって大金持ちになるんじゃなかったのか?

などなど。。ホント、愚かですね。。

結局、僕の大器晩成は「そういう方向」ではなかったのです。

まず、それを理解したということ。それが大事です。

1日1日を大切に過ごしているつもりなので、自分が、どう変わっていっているのか、というのは、自身でもよくわかっていません。

でも、ふと10年前、20年前の自分を思い返してみると。。やっぱり自分は相当変わってきたように思えます。

僕の成すべきことというのは。。

大器晩成というのは、突然何かに「なる」あるいは「変わる」のではなくって、日々の積み重ねで自分のライフ・スタイルの精度を少しずつ少しずつ高めてゆき、その結果として一定の境地まで達する、ということなのです。

階段をのぼりきるような感じで。のぼりきったところから見える景色を、僕は見たいのだけれど、そこへは一足飛びではいけないということが、わかったのです。

それがわかったということが、「晩」へ切り替わったサイン。

だから、僕の人生はこれからなのです。

もうひとつの目標、といいますか、漠然と考えていること。

自分は40になったら、ぽつぽつと、僕のところに、ビジネスとは関係なく、ヒトが集まってくるはずだ、と、思っているのです。

それは、35過ぎぐらいからそう思うようになってきました。

その自信は、別に僕が社長になって大金持ちになる、ということではありません。

たとえば、飲みに誘う立場から誘われる立場へ変換されるはずだ、みたいな。。

あいつがくると面白いから、あいつのハナシは面白いから、誘うか! といってくれるヒトが増えるというか。。

ヒトが「集まってくる」とはそういうことです。

つまり、そういう「機が熟する」のが、40が境目じゃないかなあ、と、自分の人生を俯瞰してみています。

ひとつめのはなしとふたつめは、同じことなんですね、おそらく。