元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「鈴木大拙の風光」

鈴木大拙の風光 平成十二年六月二十五日 NHK教育テレビ 「こころの時代」
大谷大学講師 別宮(旧姓 岡村)美穂子(べっく みほこ)
京都大学名誉教授 上田閑照(しずてる)  

(略)
金光寿郎(ききて):  こわい人じゃないんですか。
別宮:  私はこわくはなかったんです。厚かましいからでしょうか。「こわい」という人もいますけれども。
上田:  さっきの話もそうですが、一つ質問を受けて、「大切なのは人の心を知ることじゃない。自分の心を知ることだ」と。そういう時に出てくる智慧の働きですね。実に鋭い。しかも、それは単に智慧の働きではなくて、それによって、ほんとに相手に真実を知らせるわけですから、大きな意味では慈悲の働きでもありますね。怖いという話ですと、先生が途中で日本に帰って見えた時、学習院で先生が教えた人たちが先生を迎えて、一晩一緒に過ごされたことがあるんですね。その時に、ある人が先生に、「アメリカで禅の話などして分かるんですか」と、先生に聞いたんです。その時は間髪を入れず、「君たちは分かるかね」と。先生は「こわい人」ではないですが、機に応じた働き、これは「こわい」どころではなく実に鋭いですね。
金光:  それはそうですね。
上田:  これも本当に智慧の働きだし、それは怖いと言えば怖いんだけども、そのことによって、本当のことを先生は言っておられる。それが本当だということがみんなに分かるわけです。先生は、アメリカで、日本人とか、東洋人だけにしか分からない話をされたわけじゃないんですよ。さっき岡村(別宮)さんがおっしゃったように、人間であれば誰でも、ただその人たちが気が付いていないところ、そこを「それだ」と。 
金光:  そこのところなんでしょうね。例えば、フロムさん(Erich Fromm:社会思想家、精神分析家:一九○○ー一九八○)が、ヘリゲル(Eugen Herrigel:ドイツの哲学者で東北大学で教えていた。滞日中、弓道を学ぶ。:一八八四ー一九五五)さんの『弓と禅』(原文ドイツ語、一九四五年)を読んで、「弓のような武器がなんで禅と関係があるのか」ということで、非常に興奮して先生に質問したら、先生は、 
別宮:  「そういうふうに思っているあなたは誰ですか」。興奮して「弓と禅とが、どうして交わっているのか」と質問するフロムさんに対して、「それを言っているあなたはどなたですか」とおっしゃったんです。
金光:  そこで、「聞いている人の自分自身の問題に気付きなさい」という形でのお答えを出していらっしゃるわけですね。
(以下略)