元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

ある意味、お金の価値の半減

2007-05-16 ある意味、お金の価値の半減

「飢え」というコトバが全く現実的でなくなり、誰でも親や自治体に寄生すればなんとな〜く生きてゆける「超豊かな」世の中になった昨今ですが、「稼ぐ」という行為がこれほどまでに軽視される状況になってしまうと。。(被害妄想的にそう考えているのは自分だけなのでしょうか?)

それはつまり、貨幣価値が減少しているということではないでしょうか。

稼いだカネに対して感謝されないわけですから、つまり、稼いできたカネにはそれほど価値はないということですよね。

ムカシ、まだこの国が豊かでなかった頃は、お米(と、お百姓さん)に対する感謝と同じレベルで、おカネ(と、おカネを稼いでくるおとうさん)に対する感謝があったような気がするのですが。。

これも、幻想なんだろうか。。

デフォルトで父親に対する感謝があるからこそ、家庭内で父親の意見が通りやすく、それゆえに父親も、自分が家長であるという自覚を持ち、「扶養家族を育てなければ」という気概を持ち、ばりばりと仕事を頑張って、という好循環が生まれ。。

父親がお金を稼いでくることが「大したことではない」この世の中では、デフォルトで父親に対する感謝はなく、父親の小遣いも少なく、家庭における父親の立場もなく、父親は、何のために苦労して仕事しているかわからなくなり、モチベーションが下がり、給料も減り、家に寄り付かなくなり、ますます家での立場もなくなり。。 という悪循環。

(似たような話をどこかで書いたかもしれません)

日本人の「実感としての貨幣価値」が下がり、相対的に、「主体的な家族サービスの価値」が上がった、ということですね。結論づけると。

うーんでも、それもわかるのだがそれでいいのだろうか。。

家族が、根源的な問題として、「なぜこの資本主義社会で、自分は生きてゆけるのだろうか?」と、考える時間は必要だと思うのですが。。

主体的な家族サービスの価値がその家の中で上がったからって、家長は家族サービスばっかりしているわけにはいかないでしょう。主体的な家族サービスは単なる付加サービスにすぎないわけで。

余談ですが、先日、誰かに聞いた話では、自宅から通っているフリーターの若い女性で、自分の給料日がいつか、自分が月々どれぐらいもらっているかすら知らないヒトがいるそうで。。 

財布におカネがなくなったらATMで1万、2万ぐらいずつ引き落とす。通帳は見ない。残高がおろせない金額になったら親に借りる。旅行代や、まとまったおカネも大部分は親に援助してもらう。

それで日々「なんとな〜く」暮らしていけてしまう。

その「なんとな〜く」がクセモノといいますか、自分がもっとも敵視すべきモノだと考えていますけどね、今は。

(再録おわり)
昔はホント、1日の分量が長かったですねえ。。これで、5月16日の総量の三分の一ぐらいです。