元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

娘の親不孝

再々録? かもしれませんね。
-娘の親不孝(20070825)

ラジオ深夜便(雑誌)の投稿を読んだのが、未だにひっかかっていて。。 だいぶムカシなのですが。

だいぶご年輩の女性の投稿で、娘の子育てが終わって嫁にいったと思ったら、すぐ出戻ってきて、今度は孫の子育てをしている。死ぬまで子育てが終わらない、という。。

なんだかこの「娘」というヒトに瞬間的にものすごく憤慨したんですよ。「あー、こういうヤツ多いんだろうなあ」と。

まず、この娘は、親の大反対を押し切って、何やら得体の知れないオトコのところに嫁にいった、と。でも、すぐに出戻ってくる。。ガマンをすることもなく。

そこまではまだいいかもしれない。一種の「交通事故」かもしれません。でも、その次に、「自分の人生後悔したくないから」みたいな感じで、小さい子を置いてバリバリと働きはじめるそうです。

文章には書いていませんでしたが、親に対して、「アナタがたはヒマなんでしょう? アタシは働いてこの家の家計に貢献するから、アナタがたは子育てしてよ」という見下した感情が見え隠れしていますよね。

それは正論かもしれませんが、そもそもそこに至るまでの経緯、自分の不備をすべて棚に上げていますね。確信犯的に。

そして、こういうヒトはおそらく、家にはあまりおカネを入れないのではないか、と推察します。

この、親(投稿した女性)の人生は、どうなるのでしょうか? この娘にとっては、育ててくれた親の余生なんか、どうでもいいのでしょうか。

あるいは、アナタが育てた私なんだから、良いことも悪いことも運命共同体、とでも考えているのでしょうか。

こういうヒトはおそらく、「良いこと」だけは独占して悪いことだけ運命共同体にしたがるのです。



この、投稿した女性は、「でも、この娘を育てたのも自分」という結びをしています。なんだかこの「覚悟」がとてもいいなあ、と思ったのですが、なんだかなんともいえない、イヤな感情が残りました。

「この娘」を「育てた」のこそ、「ゆとり教育」「偽個性化教育」だと思うのです。
この投稿した女性に罪はないのではないか、と確信しています。