元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「まとめ」キタかな。

およそ4年前の(その頃自信を持って書いた)投稿ですが、ほぼブレてなくて安心しました。。
2007-04-06 【重要】「まとめ」キタかな。
今日、とても重要なことをひらめいたのですが。。

お金を使わず、お金を貯め、健康でいられる人間こそが真の「勝ち組」なんだなあ、と。

だから、真の「勝ち組」とは、大金持ちにだけ門戸が開かれているわけではないのです。

また、いわゆる「不労所得者」が幸せだとも限らないのです。いえ、「不労」はむしろ不幸に近いのではないかと思われます。

健康とはもちろん、精神的健康(健全)も含みます。精神的健全さが肉体的な健康に直結するわけですから。月並みですが、ストレスをためてはなりません。また、ストレスフリーの時間が長く続くのもよくありません。

大切なのはストレスのコントロールです。現代の物質主義に絡め取られてしまっては、ストレスをコントロールすることはできないのです。

「ストレス解消」と考えている時点でストレスのコントロールができていない証拠です。ストレス解消のためにある程度の多額のお金と時間を必要とするのであれば、「コントロール」には至っていません。

この「多額」というのは、自分が自由に使えるお金に対する比率であって絶対的なものではありません。

大金持ちが年に一度、海外旅行に行っても金銭的には痛くも痒くもないでしょう。

また、時間のコントロールも大事になってきます。たとえば、極端な話ですが、ストレス解消のために、週に一度、必ず1泊で旅行しなければ解消されないとしたら、仮にその人の休暇が土、日しかないのであれば、余暇時間のうちの膨大な割合を、ストレス解消にあてなければなりません。これでは、ストレスコントロールにはなりません。真の余暇時間の減少は新たなストレスを生みます。これの繰り返しになってしまいます。

ストレスが蓄積されてゆくのは当然のことなので、この解消手段になるべくお金を使わない方向にシフトしてゆきたい。

お金を使わない生活を続ければ、健康になってゆき、かつ「環境にも優しい」。

都市において、なるべくお金を使わない生活というのは究極のファッションであり、アナーキズムであると考えます。

たとえば「仙人的な」という言葉からは、「落武者」的な、「逃げ」に近いような感じを受けます。自分は「都市」にへばりついて生きてゆきたい。なぜならば、都市で生きることが好きだ、ということに現在、全くウソ偽りがないからです。

仙人的にならずに都市で生き、かつ、ある意味仙人的になるべくお金を使わない生活を続けられるのであればそれは圧倒的にファッショナブルだと考えます。

ここで、「お金を使わないようにしよう、という都市生活はありえない」というテーゼにおいては、高度消費社会を具現化しているこの「都市」で、極力お金を使わず(=消費せず)生活してゆくのは、現代社会でもっともアナーキーな生き方である、といってよいでしょう。自分の生きる目的はここにあるのかな、と今日思いましたね。

あとは、前述したストレスコントロールだけです。都市においてお金を使いたいという欲求をコントロールできたのであれば、もうそれで「アガリ」ではないでしょうか。逆に考えるとアガったら田舎に引っ込んでもよいかな、と。。

自分の最近のマイブームである「節制」はここにつながってきてるのか。。 書き出してみてすっきりしました。

外食は、B級へシフト。(あらためて言うまでもなく、ムカシからそうですが)

別に外食するな、といっているわけではないのです。使う金額はムリのない範囲で、搾取されない範囲で行うべきだということです。