リサイクル用紙であれば無駄使いしてもいい?
2009-03-06 リサイクル用紙であれば無駄使いしてもいい?
リサイクル用紙であれば無駄使いしてもいいんでしょ?
なんて、ヒネクレた僕は思ってしまいますが。。
「モッタイナイ」の精神とはそもそもそういうものでしたか?
「モッタイナイ」とは、世の中に生まれ落ちたもの、とか、人間が生産「してしまった」ものを、そのモノなりが使命をまっとうするまでは使ってあげようよ、という慈しみの精神だったはずです。
そこにはビジネスは介在しない。
なぜなら、ひとつのモノをずっと使い続けるというのは、経済が循環しないといっているに等しいから。
企業は、すぐに壊れる製品を巧妙に隠して売って、庶民にどんどん買い替えさせることで儲けを得ることができる。
ところで、リサイクルというのはすでに経済に組み込まれています。だから、アヤしいのです。
再生紙を利用しているトイレットペーパーとか、そういうものに「変身」させるのに果たしてどれだけのエネルギー、コストが費やされているのだろうか?
それだけのコストをかけてまでやるべきなのだろうか?
リサイクルとは、ゼッタイに、誰かが儲かっているから行われているに違いないのです。
僕は、一旦生産されてしまったモノたちは、もう再利用しなくともよいと思っています。
その根拠はおそらく、流布されている「リサイクル」という概念に対する違和感からきているのでしょうが、それを明らかにしてゆきたい。
リサイクル可能なものは、リサイクルボックスにいれさえすればよみがえるのだから、と、ぞんざいに扱ってぽいっと投げてしまってよいのでしょうか?
リサイクルされた製品というのは、もうこれ以上よみがえることはないから、と、どんどん無駄使いしてよいのでしょうか?
あるいは全く逆で、もうよみがえることができないからこそ大切に使うべきなのか?
でも、リサイクル製品というのはトイレットペーパーを筆頭に、消耗品が多いですよね。
現代の日本人はもはや、消耗品までも大切に使う意識というのは、なくなりました。
つまり、ドライに、消耗品はどんどんリサイクルでまかなおう、というビジネスになってきているということなのでしょうね。リサイクル消耗品をどんどん生産して、どんどん儲けて、どんどん使っていきましょう、と。
よみがえらせなくとも、1度きりのそのモノの運命の中で大切に使ってあげればよいと思うのですが。