元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

神様への宣戦布告(小林正観さん)

神頼みをするのは、今、恵みを与えてくれている神に対して宣戦布告しているようなものである、という小林正観さんの達見は、どきりとします。

ということは、たとえば被災地の方、まったく自分は恵みをいただいていない、なんで自分ばかり、と思われている方はどうなのか? 神頼みをしていいのか?

とても難しい問題。ホントウに。

たとえば津波で買ったばかりの家が流されかつ肉親を亡くしたという人は、神に対して恨み節を述べる権利があるようにも思えます。

原理主義的な方は、そのような絶望的状況でも神に感謝せよというのでしょうか。

そのような状況でも神に感謝できる人から救われてゆくのであれば我先にとそうするのでしょうが。。 そううまくはいかない。

そこで。。「時間が解決する」という考え方が登場する。生き続けるということは時間が与えられるということです。こらえていれば痛み(肉体的精神的)もやわらいでいくのは間違いないところでしょう。が、完全に癒えることはない。

ある意味では待つしかない。完全に確実にいえるのは、嘆くばかりでは状況はかわらないという苛酷な事実。

ポジティブに物事をとらえ、行動を起こしてゆくほうが精神的にも現実的にも立ち直ってゆける「可能性が高くなる」というのも事実。

書いていて、やはり難しい。

僕のように東京で現在、のほほんと暮らしを継続している人間が、これ以上の頼みごとをするとバチがあたるのだろう、というのは、強く強くわかっています。それがわかっただけでもとりあえずよしとしてよいのでしょうか。