元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

2010-02-11 子育ては自分も成長しないと

2010-02-11 子育ては自分も成長しないと
家内については(略)自分が、片付けをしない人間なのに、コドモに対して片付けを強要する(怒りながら)ところが、よくないのです。(略)台所の空きスペースが常に何かモノでいっぱい、テーブルも常に「何か」でいっぱい、という状況で、自分が片付ける前にコドモに「机の上を(自主的に)片付けなさい」という。

それではまったく説得力がありません。

コドモは、かわいそうに、サボタージュで対抗するわけですが、結局母親(家内)の怒りを買います。「いいかげんやりなさい!」と、雷が落ち。。

なにがかわいそうかというと「テメーがやれよ」というひとことを、親に対していえないのです。

自分の中のその、反抗心の源泉となっている「テメーがやれよ」を言語化できない。

言語化するスキルがない、というのもありますが、もっと根っこにあるのは「母親を失いたくない」というキモチです。

コドモにそういう感情、葛藤を持たせないために、まず自分(親)が見本をみせなければならないのに。。

コドモは、実は、「親が成長する」姿をみてくれているのです。その「姿勢」をみている。親が、子が成長する姿をほほえましく見守っているのと同じように。

そして、親と同じように、コドモも親に対して怒りの感情をもったり、成長している姿を喜んだり、しているのです。

という意味では対等です。それを、親はわかってあげなければなりません。