元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

新・庶民論にかえる(「テレビという名の怪物」論)

【再録】新・庶民論にかえる(「テレビという名の怪物」論) 20091207
ムカシ、庶民は貧乏だけど一生懸命生きていました。ムカシは、庶民イコール「軽く貧乏」でした。

今、庶民は中流になり、世の中が便利に、豊かになったせいで一生懸命生きなくなりました。

一生懸命生きていない庶民は政治に対してムネを張って物申すことができません。

一生懸命生きずに、自分の生活を投げ出して「活動」にばかり精を出している市民活動家であっても、結局政治に対して物申すだけで満足しており、ゼンゼン響きません。

アピールだけで、それに見合う生活をしていない。

中流になった庶民は、一生懸命生きるのはもちろん、もっと「勉強」すべきだと思います。。

せっかく、進学率も上がってきているのだし。アタマもよくなったのにオトナになって勉強しないヒトが増えました。

いや、言い方が違いますね。。

進学率が上昇し、日本人はアタマよくなってるはずなのに、オトナになっても継続して勉強する率が以前、日本が「軽く貧乏」だった頃と変わらない。

これが、非常にもったいないのです。

せっかくアタマよくなったのに、テレビに溶かされてしまっているのです。勉強する時間も奪われてしまっているのです。

勤勉かつ質素に生きるのが庶民で、庶民は「自分たちのやるべきことはしっかりやってるぞ」と、政治や「上」に対して物申すことができる。

逆にいえば、政治や「上」に対して物申すことをやめていいのであれば、自堕落に「中流」をやってもかまわない。

ただし、日本が泥舟化していったとしても、それを見てみぬふりをして、一緒に沈んでゆく覚悟が必要なのです。自分たちを騙し続けた同じ日本人とともに沈むのです。