元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

器の問題(「下士聞道 大笑之 不笑不足以為道」の例)

下士聞道 大笑之」の「笑」は、ほがらかに笑うという意味ではなく、「嘲笑する」という意味です。
現代的にいえば「バカにする」。

ウチの家内は、僕が仕事に対して死ぬ気で(たぶん。。)取り組むようになってからというもの、僕のことを「器が小さくなった」と「嘲笑」するようになりました。

つまり僕は、仕事のことしか考えていないわけですね。
それを家内は、「器が小さくなった」と解釈する。おおざっぱにいえば、家族のことを顧みなくなった、ということなのでしょう。

そう解釈されるのは、若干癪に障りますが、まァ致し方なし、といったところでしょうか。
ただし、家内がまったく忘れてしまっているのは。。
僕は、サラリーマンではないのですが、僕が「死ぬ気で」仕事に取り組むようになってから、収入が安定してきています。それは、間違いのないところ。
よく考えれば当然ですよね。仕事に対する取り組みが、以前と比べてハンパないわけですから。

なぜ僕が「死ぬ気で」仕事に取り組んでいるか? といえば、それは家族(コドモ)が増えたからでして。。
家族が増えるとなると、我が家が幸せになる最短の近道は、収入が安定することなんですね。
それも、よく考えれば当然なのです。

からしてみれば、家内からみた僕が器が小さく見えようが大人にみえようが、はっきりいって「どーでもいい」んです。
我が家に流通するカネ、すなわち収入が安定しさえすれば。

家内は、僕が器が小さい人間にみえている一方で、自分の手元に入ってくる「カネ」の量が一定になってきているという事実から目を背けている。

うっすらと、気付いてはいるはずです。うっすら気付いているクセに、そこから目を背けているあたりが、「下士聞道 大笑之」なのです。
少なくとも僕よりは「下」、すなわちただの凡人にすぎません。


「器問題」については、続く。。