元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

自分が対象物になる

芸能人というのは、みられるヒトたちですね。

僕らは、みる側です。
たとえば「アート」の類も、僕らは、みる側です。

僕はおそらく、みる側にいる自分が、キライです。
かといってみられる側になりたいのか? といえば、どうやらそうでもないようです。

みる側とみられる側は対等であるはずなのに、明確に格差がある(らしい)というのが、不満があるのだと思います。

格差、といえば。。
たとえば芸能人の方々は皆、ハンサム、または美人ですね。
そういう意味での格差はあるでしょう。。
彼らは見られる部分を特化して協調し、磨いているわけです。

そういう部分について、引け目を感じることは、ない。
僕らは市井の生活をしつつ、毎日毎日一生懸命働いています。
芸能人の方々も皆、(たぶん)毎日一生懸命働いています。

という意味では、対等。


結局。。
僕らはいつでもみられる側にまわってもよいような準備(? 「たしなみ」?)をしておくべきだと思うのです。

「アート」でたとえれば。。
アートを鑑賞するのは大事ですが、鑑賞しているうちにやがて自分が「アート」になってゆく、鑑賞される対象物としてふさわしい人間になってゆく、ぐらいの気概は持ちたいなあ、と。。

。。なんだか大風呂敷を広げたような文章ですが、そんなにたいそうなことではないのです。常に自分を磨いておきましょう、と、それだけなのですね。