元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

死ぬとわかっていれば一生懸命生きる(はず)

僕はけっこう。。100%ではないにせよ、そのときそのときの人生を一生懸命(「精一杯」に近いぐらいに)、生きてきたという自負(自覚?)があります。

100%ではないところが、僕らしいです。

他のヒトたちは、その日その日を、おそらく30%ぐらいの力でしか泳いでいないように見えます。
そんな中で、僕は70%ぐらいは出しています。

やはり、死というものがみえているかいないか、死に対して自覚的か否かによって変わってくるのでしょう。

死、というコトバに対してすかさず「縁起でもない!」と突き放してしまうようでは、ダメなのだと思います。

自分が死ぬということに対しては、ほっかむりせずに、ただ淡々と、「ああ、そうだね、自分はいつかは死ぬよね」と思っておけば、それでいいのです。