元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「人生、一割以上修行」

「人生、一割以上修行」とmyメモに書きなぐっていたのですが、そのときの思いを忘れてしまい。。

一日24時間のうちの1割ぐらいは「修行」のような習慣にあてるべきである、という考えだったのか。

あるいはそうではなく、人生なんてものは苦しいと思ってても修行っぽい時間は1割ぐらいなものですよ、というニュアンスだったのか。。

はたまた、全然違う思いだったのか。。


人生のうちのほとんどはルーティンの「生活習慣」なのですから、非日常のイベントを求めるだけでなくその習慣のほうを磨いていかなければならない、というのは常に思っていますし、この日記でも何度か言及しているように思います。

生活習慣というのは空気のようなもので、だからこそおざなりにされやすいのですが、やはり、空気のようにやりすごすことができない習慣も、ある。
若干の苦痛が入ったり、イヤイヤになってしまったり。
そういうのも、必要なのである、ということを言いたかったのかな。。(僕は)