元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

悪人正機?

たとえば、ビンボー人でも罪人でも、ナムアミダブツと唱えれば救われます、という考え方と、現代の霊感商法(ツボを売りつける、といったような)やダイエット商法には悪い意味での共通点はあると思います。

何かしらの理由でコンプレックスを抱えている人間が、ただカネを払う(商品を買う)ことにより救われる。。
ただし、救われるといってもその瞬間だけですが。。
救われ続けるためにはカネを払い続けなければならない。

重要なのは、払い続けたくない、というのであれば他の手法で自分のコンプレックスを払拭していかなければならないのですが、それはできない(しない)という前提なのです。

太っているヒトは、摂取カロリーを減らして消費カロリーを増やす活動を継続する、という、おカネを使う必要のない活動をやろうとしない。
なぜなら、カネを払う(ダイエット商品を買う)ことで即座に、瞬間的に救われたいからです。

浄土真宗は、当時の民衆に「つけこんだ」わけではないのでしょう。
でも、現代の霊感商法、ダイエット商法はまんまと現代の民衆につけこんでいます。