元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

引用

(以下、引用)
最高の教育を受けた人間も、その後の自己陶冶(とうや)を缺(か)いては、立派な人間には成り得ない。
ごく劣悪な教育も、自己陶冶によっては、なお改善され得るものである。
いかにも人間は陶冶次第です。
「陶」というのは、焼物を造る、「冶」というのは、冶金(やきん)の冶で、金属を精錬することであります。
土を粘(ね)り、焼いて、陶器を造る。
鉄を鍛えて鉄器を造るようなもので、人間もやはり、焼きを入れ、鍛えるということをやらなければ、ものになりません。
いくつになってもそうであります。
 『安岡正篤 一日一言』より
(引用おわり)


最近ホントに、人間(特に男子!)というのは社会に出てからの自己陶冶によりいくらでも変わるなあ、と。。
思います、周りをみていると。

周りをみているとあまりに怖いので、自分は少しでも、亀の歩みであってもよいから、自己陶冶をしなければならないと思うわけです。