元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

20071018 夢

まだうまく説明はできないかもしれないのですが、とにかく「夢」を活用しないとダメなんだろうなあ、ということです。

夢に対する「回路」はオープンにしているつもりなのですが、今のところ全然ダメです。朝起きてもゼンゼンおぼえていないし。。ちょっとしたコツというか、技術が必要なのでしょうね。

ところで、「夢」とはなんでしょうか? と、いうことを、たまに考えます。

自分の意識下にはすでにいくつか(あるいはひとつ)の「井戸」がデフォルトで掘られていて、眠るとヒトはそこにアクセスすることができる。ヒトは、眠りについた後に、カンタンに井戸にもぐり込み、「根源的な闇」の向こう側を垣間見ることができる。(起きているときは、井戸を「のぞき込む」ことしかできないのに。。)

その垣間見た結果が、夢なのでしょう。

夢の中は果たしてパラレルワールドなのか否か。それはもう、高校生の頃から考えていることで、未だわかっておりませんが。。

夢を見る、ということは人間に必須な機能なはずで、あえて睡眠とセットになっていることは、事実上間違いないわけですね。

ヒトは、睡眠をとらなければならない、のと同じように夢も「見なければならない」のです。

なぜヒトが眠る&夢を見るのかといえば、生物学上の意味合いでの脳の休息以外に、一般的にいわれていることは、思考の整理のため、ですよね。勉強していて、煮詰まってしまったらいっそのこと寝てしまったほうが考えがスッキリする、というのはよくいわれるハナシです。

思考を整理するための夢なのであれば、なぜ夢というのは「映像」でなければならないのか?

なぜ、「根源的な闇」の向こうの「映像」を自身に再投影して、半強制的に自身に「見させる」必要があるのか?

ここに意味は、あるのです。あるからこそ、「映像」を自身に見せているわけで。。

そして、夢分析とか、よくありますけども、ホントウは夢というのは自身に再投影して完結するものであって、それに対して分析を加える性質のものではありません。

夢分析は血液型とか占星術とか、そういうのと似ていますね。

自身が見た夢を、そういう分析本と照合して誤った解釈をしてしまう。。それをやってしまうと、「根源的な闇」から再投影した意味がなくなってしまうのです。まァ「ブチ壊し」ということです。

夢は、「みた」で終わらせておけばいいのです。ですが。。ヘンな分析を加えるのはよくないのですが、まずは、おぼえておかなければならないと思うのです。

私はおそらく河合隼雄さんの影響を多大に受けていますが、彼の教えで重要なのは、夢は予知夢であると思ってはいけない、というところですね。もちろん、前述したように、自身がうかつに分析をしてはならない、というのは大前提としてあります。

他人が、客観的に分析をするのであればよいのです ただし、その過程で本人にはゼッタイに分析した見解を述べてはならない。

夢は「結果」であって、それは、「あー、そうなんだー」という感じであたかもエンターテインメントのように楽しめば、それで十分なのです。素直に受け入れることにより、身体に「しみ込んでいく」といいますか。。

それが、自身をつかさどる「脳」が自身にあえて夢を見させる目的なわけですから。

夢に対して感情を殺せ、といっているわけではありません。夢を見て、感じるものはありますよね? それは、素直に感じたままにしておけばいいのです。そこでうかつに、「あー、そういえばあの本には、空を飛ぶ夢は逃避願望をあらわしている、って書いてあったなあ」などと、余計な引用をいれないこと。

空を飛ぶ夢を見たときに、逃避願望が顕在化する、ということではないのです。ヒトには必ず逃避願望があるのです。同じように、無限に願望を持っているのです。それはあたりまえのことです。

空を飛ぶ夢であれば、爽快感とか、恐怖感とか、疾走感とか、いろいろ感じているわけですよね? それを大事にするのです。「楽しかったなあ」とか「怖かったなあ」とか。。

夢の中には、たまたま、結果的に予知夢的なことは起こりうるかもしれません。でもそれは、切り株の前で居眠りしていたらたまたまウサギが走ってきて株にぶつかって死んでしまい、その日は豪華にウサギの肉を食べることができました、というハナシと同じです。たまたま、なんです。

翌日からそれに味をしめて、ずーっと切り株の前で待っていましたが、二度とそこに動物がぶつかることはありませんでした。。 というオチです。

もう獲物はあらわれない、と思っていると忘れたころに現れたりしますけどね。。そこがムズカしいところですが。。 夢も同じです。

エンターテインメントで思い出しましたが、夢というのは楽しいのとか悲しいのとか殺されるとか、いろいろありますよね? 夢は自身の現実のイベントを「ある程度」投影するわけですし、それを毎日夜に見るわけですから、一生続く、自分だけの「レイトショー」だと考えておけばいいのです。

一生続くのですから、レイトショーを楽しみにしたいのであれば(毎日毎日自身が殺されたくはないでしょう?)、リアル社会でもポジティブシンキングでいることです。そうすれば、それがある程度夢として自身に再投影されるわけですから、夢も少しずつポジティブになり、夜が楽しくなり、ますます自分の生活も豊かになり。。と、人生が好循環してゆきます。


(再録おわり)

夢は祝祭である、夢は「解放」である、と故河合隼雄さんは書かれていたように思います。