元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

20071026

* 現代における「弾圧」

最近のわかりやすい「横文字差別」。。フリーター、ニートワーキングプアー、そしてこれからももっともっと、差別的な「横文字」が増えていくのでしょうが。。

この、横文字を使うことにより若干イメージが和らげられている(でも実際は「激烈」に近い)差別というのは、これこそまさに現代における「弾圧」」でしょうね。

そして、彼らに対してカネがめぐっていかないのは、経済循環を操作して行う、彼らへの「経済制裁」ということです。

なぜ「カレら」がそういう仕打ちをされるか? それは、ここ10年ぐらい、そういう若年の「層」がはしゃぎすぎたからです。

じわじわと世間からの「弾圧」が強まり、それが顕在化してきたということです。

はしゃぎすぎてしまった若者が、「落ち着こう」として職を求めたところで、ない。

やっと職があっても、単調労働で、とても、生きてゆくのが精一杯。

フリーターになったらなったで、親のスネをかじりまくりで、親子ともども「プア」状態へ。。

それが末路です。

私はこの「弾圧」は肯定派です。つまり、「自分で乗り越えてこい」という意見を支持します。

そういう、父権的言説が今、批判されてしまう世の中ですから、そういうときこそ支持したい。

まずは、どん底まで落ちなさい、と。それはどういうことかというと、この飽食の世の中にあって「生きているだけで幸せ」と思いなさい、思えますか? ということです。

「カレら」は、結果的には、世の中に対して反旗を翻しているのです。意識しているかどうかわかりませんが。。

カレらは、働かない、あるいは、働く絶対量が足りない、あるいは、働く質が一定以下である、という状況でも食えているのですから、それは世の中への反抗と等しい。

「ごくつぶし」が多くなりすぎて、淘汰がはじまった、ともいえるかもしれませんね。

ワーキングプアなりニートなり、一応、応援はしているのです。自分は相当、「そういうところ」の近くまでいったので。。

でも、はいあがってきたつもりです。「フリーで(仕事を)やってる」なんて、結局、保証がないという点では同じです。何が違うか? 

それは、年収ですよ! 家族を養っていけるだけの年収を、死ぬ気で、かせいでいます。

それと、その年収を維持するための「営業努力」です。フリーは、次の仕事すら保証されないわけですから、時にはアタマを下げて、時には足元をみられながら、仕事を取ってこなければなりません。

ワーキングプアなりニートなりというのは、その、「生活のためにアタマを下げる」ということをホンキでやっていますか? 何か間違ったプライドを持ち続けていませんか?

元フリーター(? かどうかは他人が決めることですが)がここまでやれるんですよ。死ぬ気であれば。