元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

自己の洞察

宗教家や宗教、神道関係に深く携わっているヒトたちに比べて、(悔しいけれど)我々一般人が劣っているのは、彼らは、おそらく一度は自己を深く洞察しているに違いない、ということです。

それが強制であろうがなかろうが関係ありません。

一般人は、それをやらない。なぜなら、そもそもそこから逃げているかです。


以前流行った「自分探しの旅」というのは、結局自己洞察の表面上をなぞっているだけなのですね。自己、あるいは集合的無意識の周りをぐるぐる回っているだけで、飛び込もうとしないのです。

なぜならば、自分の都合のよい解というのがすでに存在し、その解以外を受け入れる気がないからです。

そこに飛び込めば、「その解以外」が現出するというのは無意識で知っている。

くだらないプライドにがんじがらめになってないで、ちょっと飛び込んでみたら? といいたくなるようなヒトがたくさんいます。