元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

豊かな生活、とは

僕が最近考える豊かな生活とは、他人まかせにしないこと。他人まかせにして他人にいらいらしないこと。

ただし、いわゆる「DIY」はキライです。あれは、ファッションだから。

高度成長期時代の「豊かになる」とは真逆なのです。かつては、キカイにやらせる、自分はラクをする、というのが「豊か」の証左でした。

現代社会では、そうではありません。

時代のどこかで、すぱんと逆になっている。。それに気付いていないヒトが多すぎませんか?と。

いや、「気付いていない」ではなくて、逆コースになったときに皆がいきなり「DIY」に走ったのでしょうか。

それが間違ってると、僕は思います。

だから、あらためて、僕の考える「他人まかせにしない」と世間一般でいわれている「DIY」の違いについて明確にしなければならないのです。

その「違和感」の発端については、以前書いたのですが。。

たとえば。。家事を家政婦まかせにして、自分らは日曜に「DIY」をやる、みたいなライフスタイルが、「豊か」だとカンチガイしていないか? と。

その「家事」を自分でやるんだよ!ということ。

「家事」を自分らでやっていれば、いわゆる「DIY」なんかやる時間はないんじゃない? と。

そういうことです。

特に僕ら「男子」。は、ずっと、ずっと変わらなければならないといわれてきました。

家族サービス、家庭の家事への参加、などなど。。

でも、ホントに変わらなければならないのは、根本の「心持」のところ。

男子は、女子に、「いろいろやってもらいたいから」結婚するんじゃ、ないのです。

その「いろいろ」は基本、自分でやるのです。

だから、それさえ実現できれば、女子に対して「養ってほしいから」結婚するんじゃ、ないんだよね? と、いえる。

変わらなければならないのは、男子も、女子も、どちらもです。

結婚というのは相互依存関係ではない、というのが、新しい時代のライフスタイル。

依存するのは精神的な部分だけにとどめておいて。。

物理的にやれることは互いに、やるのです。

はっきりいって男子は、コドモをきめこまやかに育てることはできない。

女子は、徹夜も辞さないぐらいのハゲしい労働をすることはできない。

そもそも、男子はコドモを産むことはできない。コドモに母乳を与えることはできない。

そのへんのゼッタイ的性差に目を背けて、男女平等を高らかに謳うヒトがいますが。。

女子に過酷な労働をさせたらいろんなところから反対が出ますし、まず、すぐ辞めてしまいます。

「男女平等を!」といっているヒトも(いっているヒトほど)、男女の性差なく過酷な労働をやらされたら、いろいろな言い訳をつけて辞めてしまうでしょう。

同じように、男子に過酷な育児をさせたら、辞めてしまうのでは? とはソボクな疑問ですが、違うのでしょうか。