元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

他人の結果を妬まない

他人の結果を妬まない、気にしない、というのは、常に強く意識してきたように思います。これはもう、相当以前から。四半世紀ぐらいはそう考えています。

他人が、うらやむような結果を出している場合、当然なのですが、その他人は自分より努力しているのです。
偶然性のサクセスストーリーを装っていたとしても、努力はしています。そのヒトに幸運の出会いが訪れたのだとしたらそれは、その前に努力していたからです。

他人をうらやむと自然、「自分ばかりが不幸」という考えに陥ります。これがキケンなのです。


また、他人が出す結果を受け入れはするけれども、「自分にはアイツのようなえげつない努力はできないから。。」という理由付けで消化してしまうのも相当問題です。

僕は、以前はそういう人間でした。

たとえば、とてもわかりやすい例でいえば。。上司へのゴマスリに執念を燃やし、結果として同期よりも早く管理職の座をゲットする、といったような典型的なサラリーマンがいたとします。

このヒトは、「ゴマスリ」という努力を怠らなかったわけです。また、カンゼンに実力が欠落していたわけではなく、そのウラでは、大失敗をして会社に損害を出さないという努力も続けていたはずです。

つまり、様々な形での努力の総量でいえば、このヒトは他の同期よりも抜きん出ているわけです。
そしてこのヒトはおそらく、上司に「取り入る」ことをしながら、会社の内情、実情について同期の誰よりも詳しくなっていることでしょう。

会社組織において(ここまでわかりやすくはなくてもよいけれど)このような努力をしない人間は淘汰されて当然なのです。

他人の結果を妬むのもダメですが、他人のあからさまな努力を蔑んでもいけません。
「あからさまな」努力がキライなのであれば、その2倍ぐらいの、「地道な」努力をして見返すべきなのです。まずは行動。