元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

直感のハナシ(直感の化けの皮を剥ぐ)

一生懸命生きていれば、直感が研ぎ澄まされてくると思うのです。
言い方を変えれば、一生懸命生きて「いるだけで」ということです。

そして一生懸命生きていれば、テレビを見る時間は減っていきます。当然のことです。
世の中の「情勢」「時勢」について、ニュースというかたちで一般庶民に情報が流入してくると、庶民はああだこうだとまず一次的な「考え」を持ちます。
それは、庶民の自由です。悪感情を持つもよし、良感情を持つもよし。

そして本来その「一次的感情」は個々人の「直感」に左右されるものであり、一次的な感情をそれ以上のものに「理論」(理屈)づけする時間的余裕はありませんでした。

また、理論づけする義務も庶民にはもともとありません。それは、誰かがやればよいハナシであって。


つまり、世の中の「情勢」や「時勢」に対して庶民がどう考えようがそれは庶民の勝手なのです。本来は。。

庶民の勝手なのであれば本来は、多様な思いが渦巻くはずなのですが、マスコミの巧みな洗脳が奏功し、庶民が一次的にまずどう考えるか? まで洗脳されてしまっています。恐ろしく画一化されています。

つまり、個々人の個性にゆだねられるべき「直感」部分まで洗脳されているということです。

であれば、個々人の直感を表明する必要はないのです。画一化されているがために各人に聞きにまわってもムダです。

洗脳「する」側であるマスコミに先に聞いておいたほうが早い。アナタがたは、庶民を「どう」洗脳したいのか? と聞いておけば、そっくり庶民は洗脳されるのです。



ハナシ戻して、直感というのは一生懸命生きれば生きるほど研ぎ澄まされます。ということはつまり、もともとの洗脳が剥がれてくるということです。もともと、洗脳されているという前提です。

「化けの皮が剥がれる」といってもよいでしょう。なぜならば、本来個々人の「本性」といったものはある程度の統制(「洗脳」まではいかないが)がなければ「化け」物のようなものです。いろいろなどす黒い考えが渦巻いているものです。
そして、日本のマスコミや、政治家は、庶民個々人の化けの皮を剥がしたくはないのです。
だから、うま〜く洗脳しようとします。


いわゆる衆愚政治ともまた違います。衆愚政治とは、コトバのとおり庶民がバカであるという前提ですので、それはマスコミの洗脳状態にあるということです。
庶民が皆一生懸命生きて、直感を研ぎ澄ませれば、衆愚政治を脱して、また別な意味で政治を動かすことができるのではないかと思います。

今、その洗脳さえ脱すれば、素の庶民というのは、個々は「愚」ではないのです。洗脳により「愚」にさせられているだけです。
いや、違いますね。。庶民が、ヘタに学をもってしまったがために進んで(リスク回避のために)洗脳させられてしまっているというある意味オソロしい状況です。