元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

複雑な世の中考

20070818-複雑な世の中考
世の中は、教育水準の向上に比例して複雑になってきています。
それはもう、加速度がついているので止まらないものですし、一部の知的水準が高い(?)ヒトたちがさらに加速させようとしています。
だからまず、この流れはちょっとやそっとでは戻らないと考えていたほうがいい。我々世代が死に絶えるぐらいまでは。

ですが、ひとムカシ前、この流れに歯止めをかけようとして「ゆとり教育」なるカウンターが出てきて、それは世の中の流れは全く止められないままに、この複雑になってゆく社会に適応できない人種を大量に産み落としました。
あるヒトはこの現実から逃避し、またあるヒトは、自分の周りだけでも、時計の針を戻そう、あるいはゆっくりにしようとし、つまり、自分たち「だけ」が暮らしやすい世の中に変えようと画策しています。
(略)
「この複雑な現代社会に」(by探偵ナイトスクープ)対して、ハナからここに適応する気もない人種が組み込まれてきています。さて、果たしてこれからどうなることやら。。 ということを、皆考え始めていますね。
私も考えています。

免許を持たない人間がどんどん公道で車を走らせるようになってきた、というイメージでしょうか。
その影響としては、単にアブナっかしいのはもちろんのこと、「ああ、無免許でもいいんだ?」と、それをマネする「いいオトナ」が増えてきますね。私がよく例に出す「言い訳しながら茶髪にするオトナたち」です。

そして、「無免許」は、悪気もなく車をブツけます。他人に。
これが、最近私の考える、新時代の「現代版暴力」です。
「だって、自分無免許だし。。ブツけるのもしかたないじゃん?」みたいな。。「無免許のオレ(アタシ)が公道で車を走らすことを許してる社会が悪いんじゃないの?」という言い訳が効きます。そういう言い訳がバックボーンとしてあるからこそ、彼らは安心して他人に車をブツけてゆくわけで。。