元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

正しいと信ずることを続ける

誰もが、一度は、

周囲の理解を得られない状況発生

孤立

奮起

復活

という道を進まなければならないと思います。

自分を曲げないこと。正しいことをやり続けること。
とても不思議なことに、正しいことをやり続けて曲げずにいると一度は孤独になります(正しいはずなのに!)。
そこから、さらに曲げずに続けて、やがて賛同者を得られるかどうかは、運です。つまり、孤独なまま終わるということも十分ありうる、ということ。

賛同者を得られるかどうかは、実は大事な問題ではないのです。自分が正しいと信ずることを曲げずに続けることは「天に対する仕事」ということです。

孤独がイヤだから、賛同者を得たいから、といって、正しいと信ずることを曲げて、阿ってはいけないということです。
だいたいヒトは、軽いアヤマチを犯します。つまり、正しいと信ずることをほんのちょっとだけ曲げて、「誤差の範囲」で妥協して、孤独を切り抜けようとする。
「このぐらいなら、いいか」と自分を無理やり納得させる。信ずる道は、「一応」進んでいる。でも、ほんのちょっとだけ妥協し、その妥協したことすら忘れようとする。

その、ほんのちょっとの妥協をしてしまうのが(僕含めた)凡人なわけです。
自分は、孤独で一生を終わってしまうのか?(いくら、正しいと思うことをやり続けることが正しいとはいっても、それはヒドくないか? と)、という恐怖は、相当なものですから。


誰かにホメられたいから物事を続けるのではないのです。しつこいですが、自分が正しいと思うから続けるわけです。
そのあたりを本末転倒にならぬよう、生きていけたらと思っています。