元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

(また?)宗教心のハナシ

大事なのは、どの宗教(ブランド)を信仰するか、という選択ではなくて「宗教心」を持つことなのです。
対象となるのは神でも仏でもよいわけです。


そして、まず「宗教心」から入っていって結果として神なり仏なりを選んでゆくときに、勝手にその教義をイデオロギー化しないことです。

それを行うのが、傲慢なのです。宗教心から「信仰」へ移行するときに、群れようとする人間は、教義をイデオロギー化してどんどん独善主義になってゆきます。

逆にいえば、敬虔な宗教心の発露から始まったはずでも、そこで傲慢な気持ちを持ってしまう人間は必ず集団で行動してゆくことになります。
そこがリトマス試験紙となります。

何度も書きますが、「信仰」とはゼッタイ的に独りです。他人を仲間に引き入れる必要はありません。自分と、超越的存在(神でも仏でもよい)との1対1の会話です。