元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

読書の時間

結局僕は良くも悪くも、「実践」(フィールド)をモットーにしてきました。
それはおそらく、中学校の頃からです。
最初は、それを言い訳にして読書をすることをサボってきました。中・高6年で読んだ(まともな)本は、両の手でもあまる感じです。

絶対的読書量の少なさについてはカンゼンなる自業自得であり、今さらそれのリカバリーをヒッシこいてやっています。

ですが、僕は気付いただけでもまだよいほうで、たとえば中学〜大学までずっと体育会系ひとすじ、といった感じのヒトたちは、ヘタをすると一生本を読まないかもしれないのです。

そういうヒトは、僕の知っている限りではものすごくたくさんいます。

体育会系でなくとも、中学高校からふらふらとアソびグセがついてしまって、もちろん大学でもそのままそのノリでいってしまい、就職してもずっとそんな感じで生きてゆくヒトたちも同じです。

何も気付かない、ギモンを持たないわけですからそれはそれで幸せなのかもしれません。


僕のようにまず人生の前半は実践、そしてその後、それを補完する意味で読書にシフトする、という人生ではたしてよかったのかどうか。。
というのは常に考えていますし、考えるだけでもマシなのかもしれません。

ところで、本を読まない人生と同じぐらいに、実践のともなわない本だけの人生、あるいはヴァーチャルリアリティのみの人生というのは、よくないと思っています。

という意味では、そういうヒトたちよりは幸せな人生を送っているといえるのでしょうが、上をみれば、まず読書で基礎教養を磨き、そこから気付きを得てフィールドへ移行した人間には、かなわないのだろうか、という諦観はあります。

かなわないのかもしれませんが、今の自分は、周りを気にせず読書にいそしむ、読書の時間を確保するよう努力するのみです。