元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

引用 内山興正老師

生命の働き―知事清規を味わう (1972年)

生命の働き―知事清規を味わう (1972年)

 発心するというのはなにか、結局、ほんとうの意味の自分の生命を大切にするということ。世間の人はまあみんな働いているけど、なんのために働いているかというと欲のために働いているんで、ほんとうの生命として働いているのではない。いま仏法として大切なのは本当の生命としてはたらくことですね。―いや、この欲と生命との関係はまったく微妙でね、たしかにわれわれは生きているかぎり欲をもっていることは事実だ。だからといって、欲のために働くということは欲の地盤に生命をおいてしまうことなんだ。そうではなく本来われわれの生命が欲をもっているのだから、欲も生命力の一つとして、生命の地盤に欲をおくのでなくてはならない。
 ところで、この生命の地盤に欲をおくとはどういうことか。―欲はいつでもオレの欲なのだから、このオレ、オレという思いを手放しにして、「オレの欲を手放した純粋生命」として働く、これが「解脱のためのゆえの持戒」です。
 つまり生命が生命として純粋に働くこと、これが仏法としての生命(阿羅漢果)ですね。