元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

仏教神道のハナシそのn 「カタチ」は一定ではない

逃げではなく、積極的に、ポジティブに、仏教神道の思想、教義を取り入れることです。
そうすれば歴史の浅い、ヘンな新興宗教に取り込まれずに済むのです。

信仰するものがないから、ガードが甘くなり、スキをみせたところを新興宗教に取り込まれてカネをムシりとられてしまうのです。

運よく新興宗教に取り込まれなくともそもそも高度資本主義社会の奴隷にすでになっているわけですが。。
(すでに「企業」あるいは「組織」に少しずつカネはムシりとられています たとえばコンビニにふらっと立ち寄ってしまって数百円落としてゆくのもそうです)


信仰というのは大げさなものではないのです。「道端でお地蔵さんを見つけたら、立ち止まって手を合わせたくなる気持ち」ぐらいで十分なのです。

(一旦は)「カネ」を信仰してもかまわないと思います。カネ至上主義であれば、新興宗教にカネを貢ぐことに対し「なんで?」と、カンタンのNoを突きつけることができます。



そもそも以前も書いたと思いますが、信仰というのは独りです。徒党を組んでいる時点で信仰ではありません。
徒党を組むことを強制する「宗教」は間違っている。

各自がそれぞれに神(超越的な存在)を持つわけで、その「カタチ」は一定ではありません。