元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

唱えるだけでは。。

以前、斎藤一人さんの「神社」に集まる庶民に対する違和感を書いたことがあるような気がします。

たとえば、斎藤さんが自書で「ツイてる、ツイてると唱えるとよい」と書けば、ホントにそのとおりにする。

ご利益にあやかるために「神社」に詣でる。


何が問題か? というと、そのままではダメなのですね。
すごく受身なのです。

ツイてるツイてるを唱えることにより、「早くツキがやってこないかな〜」と、ひよ鳥が口を開けてただ待っている状態。


斎藤さんが言いたいのはおそらく、「ツイてる」などのポジティブなコトバを念じることにより、ココロをポジティブな状態に持ってゆきなさい、ということです。

ココロがポジティブな状態になると、どうなるか?
少なくとも、口を開けて待っている状態には、ゼッタイになり得ません。
「ツイてる」にふさわしい行動を取るようになるはずなのです。


そして、「ツイてる」にふさわしい行動とは、受身にならずに「与え続ける」ことなのです。

それをわかっていないヒトが、おそらく全国にものすごい数います。

ヒニクっぽい見方をすれば、わかっていないからこそ庶民だったりするわけですが。。


僕は斎藤さんの信者ではないですが、斎藤さんがいわんとすること、重要なところはわかります。でも、どっぷりはまっている信者がぜんぜん見当はずれな努力をし続けているのは、なぜでしょうか?

何か、大事なところから目を背けていないか? と、思います。
全般的に新興宗教的なものにハマってゆくヒトは、全員が全員、大事なところから目を背けているわけです。