元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

朝起きて幸せと思うところから、ですね

朝起きて、まず、「ああ、起きてる。。(よかった。。)」と思いましょうよ、ということです。そこから1日を始めましょうよ、と。

どうやら世の中には、「死にたい」と思っているヒトもいるようです。そういうヒトは朝起きて、「ああ、また(イヤな)朝がきてしまった。。」などと、思うのでしょうか。

でも、そう思った瞬間にその1日の「負け」は決定しているようなものです。
僕もイヤですが皆さん、起きた瞬間に負けの決定しているゲーム、否、1日(人生)はイヤでしょう?



そういうふうに「死にたい」などと思いながら暮らしているヒトたちに対して世の中はもっとキビしくあたってもよいと思うのですが。
語弊があるのであれば、「ふつー」に。

おそらく、ハレものにさわるように接しなければならないのでしょうが、そもそも現代人はそんなに、他人にかまっていられる余裕などあったのでしょうか?

そういえば、幸せな人生を送っているヒトに対しては他人はイヤというほどかまってくれますよ。かまってほしいという理由のみであればそっちにいっちゃったほうがいいんじゃないでしょうか。
と、いうことです。


とにかく僕がいいたいのは、ただひとこと、「オレだって必死に生きてんだよ!」ということだけなのです。
「死にたい」と考えてしまうような状況、環境をとことん回避してゆくという「努力」はすでに「済」なのであって、今は、「生きていてよかった」と感謝できる人生を送れるよう必死に努力しているところです。

つまり、今の僕は「死にたい」と考えているようなヒトたちにハレものにさわるように扱ったり、かまってあげたり、といったような時間はないのです。自分のことで精一杯なので。。
いや違う、自分と、家族と、ごくごく近しい周辺のことで精一杯なのです。

この国、いや、世界中で、今にも首をくくろうとしていたりビルから飛び降りようとしているヒトを僕は助けられません。
別にそのことに対して「申し訳ありません」と謝ったって、かまいません。できないものはできないのですから。

すべてヒトは、自力で立ち上がるしかないのです。
周りの支援というものですら、自分で勝ち取るものです。