仙人気取り
現代版の「仙人」(気取り?)っていうのは、どうもアヤしい。。
計算があります。
たとえば、山奥で仙人を気取っていても、いつか誰かがたずねてくるに違いない、といったような。
そういう計算。
孤独には、徹し切れない。仙人を気取っていても、テレビはしっかりチェックしていたりして。。
仙人「ファッション」だけで(山奥というシチュエーションにこもることも「ファッション」)おそらくなりきってはいない。
なりきれるわけはないのです。そもそも「悟り」がないのですから。
仙人「ファッション」よりも、世俗にまみれて必死に、一生懸命家族を養い、生きてゆくほうがよっぽどすばらしい。
仏門に入るヒトたちも、怪しいものです。宗教法人という枠に守られた中で、何を修行するというのでしょうか?
宗教法人という名の営利団体。だから、彼らも、「我々はビジネスに参入している」と、宣言すればよいだけのハナシなのです。すましてないで。。