元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

思いやりと「気を遣う」

思いやりを持つということは、結局気を遣うということです。

思いやりを持ちなさい、とコドモに躾けることは、それは「気を遣えよ!」といっているのと同じなのです。

そこに、僕ら親世代の葛藤があります。

ホントウは、そうではないのです。ホントウは、思いやりを持つというのがイコール「気を遣う」であってはならない、いや、そうではないほうがよいのです。

でも、現代社会においてはほぼ、イコールです。


「気を遣う」ではない「思いやり」というのはつまり、押し付けがましくない親切といいますか。。
そんなところだろうと思います。