ヒトはなぜ、学問を修めるのか
人間はなぜ、学問を修めるのかといえば。。
それは、「運命を自分で切り拓くため」なのですね。
とある本を読んで、そのようなことが書いてあって、はっとしました。
仕事だけでは、おそらくダメなのです。
仕事というのはおおよそ、「生活のため」ですから。
仕事の中に含まれる「研鑽」の要素のさらにその中に「学問」の要素を含ませてゆくことができれば。。
ところで、前にも書いていることですが、四則演算だけわかっていれば世の中いきてゆけるんだ、と鼻息荒くのたまっているヒトたちはホント、わかってないなあと思います。
確かに、四則演算だけわかっていれば生活はできるでしょう。
でもそれだけではダメなのです。生活のためだけに働いているようではいいように運命に翻弄されてしまう。(そして昨今は、マスコミにも翻弄され続け。。)
学問を修めれば、マスコミには相当警戒しなければならない、というのは、なんとなくわかってきます。
そして。。学問よりも、大切なものは、「礼節」なのです。
「四則演算だけ〜」とのたまっている人種が、「ただし礼節は大前提」という意味合いでいっているのであれば、OKなのです。
礼節、躾が大前提でプラス四則演算、というのであれば、相当良いと思います。
でも、そういう人種は、礼節は大前提にしていないような気がしてなりません。
「生き馬の目を抜く世の中でいきてゆくためには!」「カネがすべて」といったように、聞こえるんですよね。。
礼節なんて無視して、ずるがしこく生きてゆけ! といったような。。