元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

僕なりの「鈍感力」

自分がもう、20年ぐらい前におそらく自覚していたことで。。これはおそらく日記にも書いていると思うのですが、

僕は、世の中のほとんどのものはおいしく感じます。自然のものであっても、カップラーメンであっても、スナック菓子であっても。

そして、外食などであまりにマズいものを発見すると、逆にうれしくなります。なぜなら、この御時世で極端にマズいモノというのはなかなかお目にかかれないからです。

僕がおいしく感じないのは。。たとえばのびたラーメンとかそういう、旬を過ぎたもの。実際問題クサっているもの。
極端に甘かったり辛かったりしょっぱかったりするもの。

などなど、あたりまえのことです。


そして一方では、食事に対して必ずひとことふたこと、難癖をつけなければ気がすまないようなヒトたちが存在します。
そういうヒトたちは、おいしいモノに遭遇しても素直においしいと言えない。それは「負け」だと思っているからです。


で、僕が何を思っていたかというと、後者のようなヒトの人生はなんと不幸なのだろう、と。
なぜかというと、ふつう1日に2〜3回は食事をしなければならないわけで、その機会に対して必ず難癖をつけたり、あるいはつけなくともそういう気分になったり。。

そんな人生が幸せなわけがない。

僕は、こと食事に関して「なんと幸せなんだろう」とまでは思っていませんでしたが。。
とにかく、比較すると、後者のようなヒトたちと比べればゼッタイに幸せだなあ、ヘタに味覚が過敏でなくてよかったなあ、と、ココロから思ったのでした。


僕は最近、掃除をよくするのですが、これの応用編が掃除にもいえるわけでして。。

僕は、掃除好きなわりには結構汚れに鈍感です。

僕の周りには、「あー片付かない!」とか、「なんでこんなに毎日毎日キタナくなるのか?」とか、イライラしながら掃除に励んでいるヒトがいます。

そういうヒトたちの人生は、なんと不幸なのだろうか、と。。


掃除が好きでかつ汚れにけっこう鈍感な自分は、そういうヒトたちに比べたらだいぶ幸せなのだろうな、と、最近思いを強くしたのでした。